防空緑地やゴルフ場、そして現在
サクラの花見の名所として有名な世田谷区砧公園にいってきました。
ここはもともと都市計画決定された大緑地で、戦中は防空緑地に指定されました。都市に対する空襲被害が出た場合の避難場所や延焼を防ぐのが目的で作られました。
戦後は都営ゴルフ場になりました。当時、ゴルフはまだ特別な人だけがやるスポーツでしたから、ゴルフボールが豊富にあるわけじゃないんですね。
ボールが池へ落ちたり、山へ行ってしまったりしたときにのために、中学生がアルバイトしていたそうです。その経験のある人から話を聞いたことがあります。
まだ中学生なので、ゴルフ場からアルバイトでお金をもらうことはできないため、プレーヤーのお手伝いをしてあくまでも個人的にチップをもらう、というシステムだったとか。
池にボールが入るとプレーしている大人からアルバイトが呼ばれ、拾いに行くわけです。すると、チップをはずんでくれたとか。
チップを頼りに中学生たちが集まっていて、彼らは大人に呼ばれるまで卓球をして遊びながら待機していたという、のどかな時代だったそうです。
つまり、中学生のチップ代よりもゴルフボールが高かったということなんですね。いったい、当時いくらしていたんでしょうか。